ひとひら浮かぶ / 佐野優一

 縁側に座って、冷酒をおちょこに注ぐ。都合よく薄ピンクの花びらでも一枚、と思うが、それは気まぐれに吹くまだ少しだけ冷たい風しだいだった。
 うちの庭は決して広くはないが、古い日本家屋ということもあってかなかなか雰囲気がよかった。しかも、となりにある小さい公園の桜の木の枝がちょこんと生垣をこえてはみ出しているので、お花見ができる。だから私はこの季節、仕事が休みで天気のいい日は、こうやって縁側でお酒を飲むことにしている。日本酒はなかなか慣れない。だけどこの匂いをまだ忘れたくはなかった。
「ただいまー」
 玄関のほうから声がした。妹が帰ってきたらしい。足音で、だいたい家のどのあたりを歩いているのかわかる。鞄を置く音がしたあと、背に気配が迫ってきた。私は振り返って「おかえり」と言う。
「ただいま。お姉ちゃんまた飲んでるの?」
「ひとを飲んだくれみたいに」
「じっさいそうじゃん」
 妹は腰に手の甲をあてて、両足に等しく体重をかけて立つ。高校の制服姿の彼女は、片手に黒い筒と小さな花束を持っていた。そういえば今日は卒業式だと言っていたのを思い出す。
「無事卒業できた?」
「できたよ、おかげさまでね」
 妹は、風から転がり落ちてゆっくり地上をめざす花びらをさっとつかまえて、
「お姉ちゃんも卒業しなよ、もうさ」
 私が持つおちょこにそれを放した。
 ほんの僅かに波紋をつくって、薄ピンクが一枚、彼の好きだったお酒に浮かぶ。

めらたん

日本大学芸術学部、未公認サークルの「めらたん」です。エモーショナルな短文を書いています。

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