早く桜は散ってほしい / 上原果
早く桜は散ってほしい。
父は満開の花を見るたびにそう言う。今までは「なんてひねくれた考えなんだ」と母と二人で笑っていられたが、今年はさすがの私もさっさと散ってほしいと思った。
ウイルスに侵された世界を差し置いて、桜の天女の化粧のような淡い色彩は無頓着な艶やかさをほころばせていて、思うようにいかない生活に疲弊した心に障る。
「掃除機で吸い取ってしまおうか」
日本晴れの昼下がり、公園の桜にわたしは囁いた。その日は、緊急事態宣言が発令される数週間前の三月二十五日で、わたしの誕生日だった。スーパーの買い物の帰りに立ち寄った公園は、子供たちにあふれている。人のぬくもりを長いこと忘れてしまった遊具が生き生きとしているように感じて、スマホやゲーム機が発明される前の、私も見たことがない懐かしい景色をみているようだ。
ひときわ大きい桜の木の根元から見上げると、黒く武骨な枝ぶりにヒヨドリがとまっていて、可憐な花の真ん中にくちばしを突っ込んだり、ガクをもいでポタリポタリと花を地面に落としていた。
毎年、よく見かけるヒヨドリの光景に、やっと私は笑えた。ヒヨドリは何も知らない。世界中の人間が命の危機に四苦八苦しているというのに、ヒヨドリは淡々と生きるために桜の蜜をすすっている。動物からしたら、外に出る人間が少なくて過ごしやすい年になるだろうが、虎や猫も感染したという話も聞くし、何もかもがどう転ぶかわからない。
十九歳になったばかりだというのに、何もかも捨てて終わってしまいたい気持ちになる。
わたしはスマホを桜にかざして、シャッターを切った。
青天いっぱいに繊細な花がほころんでいる写真。何番煎じみたいな構図だったけれど、わたしの胸の澱みを清い川の水みたいな爽やかさで洗い流してくれた。
そういえば。
母から聞いたわたしが生まれた日の話。
生まれたことを外にいた父に伝えたとき、
「桜が咲いてるよ。今日は」
と、父は言ったらしい。
きっと、なんてことないふうに言ったんだと思う。
命の循環みたいなものが自分にもめぐってきたみたいに。
多分そのときだけだな。あの人が桜を愛でたのは。
わたしはふふっと笑った。十九歳にもなると、変な格好つけでシニカルな笑みになる。可愛くない娘になったものだ。
そのとき、スマホが震えた。母から電話が来たようだ。
「じゃあ、さようなら」
ヒヨドリから送られた桜の花を拾って、笑顔のまま今年の別れを告げる。
指先で花をくるくるといじりながら、春風とともに家路に着く。
それが十九歳の始まりの出来事。
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