授業中窓の外を見て考える時間ほど無駄な時間はない / あじさいめんこ
セーラー服に染みをつくる雨粒を羨ましいと思うのはいけないことだろうか。これは、紫陽花の花びらに雨が降りかかるさまを美しいと思うのと、大した違いは無いように思える。
こんなくだらないことを誰かに言えるはずもなく、教室の窓の外の曇天を見つめては、もうすぐやってくるであろう梅雨の訪れに少しだけ期待してしまう。
今日持ってるかな、傘。ふと、昔のことを思い出した。
「なんでつゆがすきなの?」
幼い頃、ある女の子にそう聞かれたことがあった。何となく、それ以来誰かに梅雨が好きだなんて言ったことは無いような気がする。
「じめじめしてて、おすなばもびちょびちょであそべないじゃない」
彼女はそう言っていた(ような気がする) 。
ごもっともだ。梅雨時は夏に向けて気温が上がっているにも関わらず、湿っていて過ごしにくい。いつ雨が降るかも分からないから、ってお母さんにいつも折り畳み傘を持たされたっけ。
回想の最中であっても思考が散らかってしまう。適度に教科書のページをめくり、黒板を見ながら板書をノートに書き写す。ああ、先生そこ誤字ってるけど、まあ各自で書き直しているだろうし、わざわざ手を上げて言うことでもない。
さて、再び物想いにふけろう。あのときなんと答えたか。響きが好き、長靴を履けるのが嬉しい、水溜りに勢いよく足を下ろしては水が跳ねる音に心が弾んだとか。どれも正解だと思う。が、あの時の答えはどれでもなかったような気がする。
「――『朝霧の命』、『露と等しき身』と言ったように、『露』は人の世の儚さの喩えとしてよく使われてきました」
これまで聞き流していた先生の声が、突然はっきりと聞こえてきた。そうか、露か。
「こんな歌があるの」と優しく語りかけたのは古典が好きな母さんだった。
「ある人の、月ばかり面白きものはあらじと言ひしに、またひとり、露こそあはれなれとあらそひしこそをかしけれ――草木や地面にできる、冷たくきらきらした露はね、お月様と肩を並べるくらい素敵なものなんだっていう歌」
きらきら、お月様。素直に『露』を綺麗なものだと思っていたあの頃は、梅雨と露が違うものだということを知らなかったのだ。
何年越しかのもやもやが晴れたところでタイミングよくチャイムが鳴る。さっきまでの曇天は何処へ。陽射しが眩しくて、太陽を睨みつけた。
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