恋と光 / 佐野 優一

  最初に言っておこうと思う。
 恋は盲目だ。だからきっと、好きになった。
 
 そこは病院の屋上だった。
ひ田舎の小さな病院で、三階立てであった。診療科の数も最低限で、職員も心なしか田舎特有の距離の近さを感じた。
 昼の短い時間だけ屋上が開放されていて、ひとりで動ける患者や、見舞いに来た人が利用できるようになっていた。昔のように大量のシーツが干してあり、それが風にはためいているようなことはなかった。ただ上に開けた空間が高いフェンスに囲まれていて、はじのほうにベンチがいくつかある。もっぱら食事場所として利用されているようだった。
 僕はベンチに腰かけ空を眺めていた。快晴だった。もう薄い長袖一枚でも日中は寒くない。
「ねえ」
 不意に声がした。聞きなじみのある声だった。
「んー?」
 僕はそれに返事をして、声がしたほうに視線を向けた。すると声と足音から思い浮かべたままの、なじみある姿がそこにあった。屋上の出入り口から、彼女はフェンス沿いにゆっくり歩いてくる。
「時間だいじょうぶなの?」
 彼女が問いかけてくる。
「だいじょうぶ、今日は午後休講になった。先生が出張らしい」
「そうなんだ、よかった」
「何がよかったの?」
「え、遅刻しないから」
 彼女はそう答えた。僕は、彼女がとなりに座れるように少しずれて座りなおす。
「なんだ」
「あ、一緒にいれる時間が増えるから、って言ってほしかった?」
「心読んだ?」
「うん」
「え、こわ」
 僕がそう言うと、彼女はけらけらと笑った。
 彼女は僕のことを僕以上に知っているように感じることがあった。僕についてだけでなく、世界についてもだ。彼女のものごとに対する見方や感度は僕のそれとはあきらかに違って、僕がものごとを考えるとき容量を割いている領域を彼女は別のことに使っている気がする。それも僕よりもずっと有効な使い方をしているように思う。だから僕は彼女が見る世界を知りたいし、そばにいたいし、違いを楽しみたいと考えている。
「今日はずいぶんといろんな音がするね」
「そう?」
「うん、春祭りって今日なのかな。あと工事も昨日よりうるさい。すごくカラフルなイメージ。いろんな色の風船が、優しく洗濯されてるみたいな感じ」
「……屋台のヨーヨー屋的な?」​
「あれを立体的にして透明度をあげた感じ」
「七割くらい伝わった」
「残りは明日チンして食べてね」
 彼女と出会ったのは今も通っている大学の食堂だった。ベタすぎて自分でも驚くが、僕の不注意で彼女とぶつかってしまった。彼女が持っていたものを落としてしまい、それを拾い集める手伝いをした。そのとき彼女は、こちらが悪かったというのに僕に深く感謝した。それどころか悪かったと謝った。そのときはそれで会話は終わったが、僕にわだかまりが残った。だから再び学内で彼女を見かけたときに、あとさき考えず話しかけてしまったのだ。
 きっとただ、すっきりしない気持ちをどうにかしたかっただけだと今となっては思う。だけど、そのとき話しかけたことを、僕はいまだに一度も後悔はしていない。
 それから彼女とはときどき会って話すようになり、その頻度は高くなっていった。彼女は世界の輪郭を捉えることができなかったが、それはむしろ、僕に彼女を魅力的にみせた。彼女が語る、僕がよく知っている世界の新しいかたちを、僕は何よりも求めた。
「ねえ、光くん」
 彼女が手を伸ばして、僕の顔にふれた。両手で僕の顔を、やさしく包むようにさわる。彼女はときどきこうして僕の顔をさわることがある。
「それでどういう顔かわかるの?」
「わからないよ。でも安心するの」
「そう」
 彼女は満足げに手を離すと、ゆっくりと笑った。それは僕が一番好きな彼女の表情だった。彼女にもそれを見せてあげたいと思う。自分がどれだけすてきな顔で笑うのか教えてあげたい。もう見られないとはわかっていても。
「恋」
「なに?」
「いや、呼んだだけ」
 
 最後にも言っておこうと思う。
 恋は盲目だ。だからきっと、好きになった。
 

めらたん

日本大学芸術学部、未公認サークルの「めらたん」です。エモーショナルな短文を書いています。

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