狐の嫁入り / 青藍 瑠璃

 高校最後の晴れの日、カーテンの裏側でキスをした。教室は二階に位置するというのに、開け放っていた窓から桜の花弁が幾片かふわりと舞い込んで、光を孕み薄茶に靡く君の髪に止まった。毛先からほんのり石鹸のような匂いが僕の鼻先を掠める。切れ長の一重瞼に縁取られた飴色の瞳が、決壊しそうなほどの涙を湛えて僕を捕らえる。すぐさま伏せられた睫毛の密度が高くて、世界でいちばん綺麗だと思った。花嫁のベールをあげるように、震える手つきで髪についた花びらをとってやる。三十一人、否僕らを除いた二十九人が各々別れを惜しむ喧騒が遠く感じて、僕は柔らかな細く白い手を取りもう一度薄い唇にキスをした。君の頬が濡れる。外では青い空から雨が降り、桜の木から重力に負けた花が落ちていく。
「私の我儘に付き合わせて悪かったわ。接吻を有難う」
 我儘なのは僕だ。君が行ってしまうとわかっているのに、僕は君の手を離せないでいる。行かないでほしい、今まで通り僕のそばで。そう願うほど、喉が詰まってうまく声に出せない。
「もう戻らなくちゃ。神酒を交わすのが本当に貴方とだったらよかったけれど、貴方達は私達とは交わらないから」
 君の手がきゅっと細く小さくなって、僕の手のひらをすり抜けた。僕は状況が掴めないまま、君を引き止めようとする。しかしそれより一瞬はやく、君は窓に足をかけてそのままふわりと浮かんだ。くるりと身を翻えして僕に一礼すると、浮かび上がった火の玉の行列を引き連れみるみるうちに上昇する。着ていた紺地のセーラー服は白無垢へと姿を変え、茶色い髪からピンと立った耳が、尾てい骨のあたりからはふわふわの尻尾が現れた。僕は呆気にとられてそれを見る。雨が降り注ぐ雲ひとつない青い空の遠い遠い彼方、米粒よりも小さくなってやがて本当に見えなくなった。
 しばらくそのまま放心していた僕は状況を飲み込めずにカーテンから出ると、いつの間にか教室はがらんどうだった。二つあったはずの鞄は一つになっていて、君の席はなくて、君って誰だっけ。窓際、僕の机の上に置かれた鞄を漁り卒業アルバムのクラスページを開くとなんてことはない、女子生徒十四名男子生徒十五名とそして先生が唇の端を同じように吊りあげた記念写真があった。ひと通り眺めてこの三年間を反芻する。女子生徒と云々というような花があった生活でもなかったはずだが、卒業式の感慨に浸れているだけいいだろう。いつ吹き込んだのか学ランの袖に乗っていた桜の花びらを指でつまみあげる。何かを忘れている気がして教室を見渡すと、ガラガラと扉が開いた。
「お前まだここにいたのかよ、探したぞ。みんなで写真撮ろうぜって、桜の木のとこで」
「ああごめん、すぐに行くよ」
 鞄を背負い二度と訪れない教室を後にする。挟み込まれた桜の花弁に、不自然に空いた女子生徒同士の隙間に気づくことのないまま。

めらたん

日本大学芸術学部、未公認サークルの「めらたん」です。エモーショナルな短文を書いています。

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