渋谷 / まよい
カラオケに行っても、幸せになんかなれない。フリータイムは3時間で追い出されるし、追い出されたら行き場がないし、雨は止まないままだし、渋谷は汚いから好きだった。
夕方のブルーグレーのひかりのなかで、わたしは遥の輪郭をなぞった。いつだったか、「自分の輪郭を世界にとかしたいからお酒をやめられないんだよ」と遥が言っていたことを思い出す。ふわふわほてった遥の輪郭は世界にとけだして、けれどもわたしとは交わらない。丸みを帯びた遥の声がわたしの頬にふれる。バニラアイスが舌の上でほどけるときのように。遥が息をひとつ吸うごとに、そのたびに、わたしの心臓は音を立てて潰れる。交互に呼吸をして、次第にリズムがずれてきて、そして同じタイミングになる。吸って、吐いて。遥が生きている、そのぜんぶを吸い込みたくて、些細な空気のふるえさえ逃さないように。鼓動さえ握られている。どうか握ったままでいて、とわたしは願う。
真夜中にわたしたちは会わない。遥は一切の連絡を絶って、だからわたしは詮索しない。傷つくなら遥と同じ部分がいい。外国人のコンビニ店員からお酒を買って、わたしの輪郭を世界にとかしてしまう。ささやかな嘘を油絵みたいに重ねる。遥からとけだしたものと、わたしからとけだしたものが交わってしまえばいいのに、と思いながら。まざったら汚くなってしまうかな。山手線はまわりつづける。渋谷は人が多いから孤独だ。人が多ければ多いほど、わたしのからだは透明になる。ブルーグレーのひかりもない。ブルーグレーは遥をいちばんうつくしく光らせる、遥のためのひかりで、たぶん遥の部屋にしか存在しない。
カラオケに行っても、幸せになんかなれない。部屋は真夜中みたいに暗いし、フリータイムは3時間で追い出されるし、追い出されたら行き場がないし、雨は止まないままだからとけだしたわたしの輪郭も遥のそれとは交わらないまま排水溝に流れ落ちてしまうし、油絵の具は剥がれないし、結局遥はわたしのことなんかなんにも知らなくて、わたしも遥のことなんかなんにも知らなかった。空き缶を凹ませる。スクランブル交差点、眩しい看板、夜なんて。山手線は遥を乗せていないのにまわりつづける。どこにも、どこまでも。
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