たとえ、永遠なんて存在しないとしても / ねこかぶり
君が目を醒ますまでの一時間にしか幸せを見出せなくなってきてしまった、最近。
「おはよう」
まだ腕の中ですやすやと眠っている君を起こさないように、小さく呟く。白いシーツの上に扇形に広がった艶やかな黒髪。ほんの少し身を乗り出せば、小さな唇に触れてしまいそうな距離。静かな寝息と、ほんのり紅潮した柔らかな頰。どんどん成長して、綺麗になっていく彼女を恨めしく思う。今日も目を覚ませば、彼女は僕の腕の中から出ていくのだから。あたたかい温度に、永遠なんて存在しない。二人で一つだなんて言っていた頃から、十七年も歳をとってしまったのだから当然か。この世界に魔法でもない限り、君はいつか僕から離れていってしまう。仕方ないことだ、なんて割り切ることが出来たなら、どれほど幸せだったのだろう。
「んんっ」
やっと目を覚した彼女が、不思議そうに僕の顔をじっと見つめてくる。
「なんだ、理架か」
「おはよう、琉架」
大きな黒目をまるくした君が軽くため息を吐いて、僕の腕の中からすり抜けていった。なにもない空間が、腕の中で悲しそうに笑う。軽く乱れたシーツは、白いまま。
「寝れなくなると、いつも俺のベッドにもぐりこんでくるのやめてよ」
都合が悪くなった時だけ「姉ちゃん」なんて呼ばせたくなくて、思わず人差し指をそわせる。
柔らかくてあたたかい、僕よりも小ぶりな琉架の唇に。キスよりも先に、指が出て安心した。
「これからは気を付けるよ」
「本当に気を付けてよね、俺らはあくまで姉弟なんだから」
誤解でもされたら困る、とでもゆっくりと首を横に振った琉架。どこまでも淡白な君とは交われない。そんなこと、ずっと前から知ってた。君と同じ産道を通ってきた瞬間から。
「ねえ、理架」
「なに、琉架」
やっとベッドから出る気になった僕の目を見つめてくる。君の黒く澄んだ瞳にうつった僕が首を傾げると、僕から目線を外した琉架にくしを投げつけられた。
「今日も、髪の毛結ってよ」
「そのくらい、そろそろ自分で出来るようになりなさいって」
渡されたくしで彼女の艶やかな黒髪を梳かすと、なぜか肩を震わせた琉架。
「俺、理架が羨ましい」
「どうしたの、急に」
「なんで、俺らは産まれてくる器を間違えてしまったんだろうね」
手元に手繰り寄せたセーラー服を恨めしそうに握りしめた彼女の声は、震えていた。そう、僕らは産まれた時から、僕が姉で、彼女は弟だった。ただ、それは僕らの中でしか通用しない。周りの人間は僕らを『仲の良い兄妹』だと言う。だれも僕が本当は彼女になりたくて、彼女が僕になりたいことなど知らずに。
「ねえ、琉架」
だから、君は変わってしまった。僕の知らない彼女に。だけど、まだ間に合う気がした。
「なに、理架」
軽く首を傾げた彼女の、いや彼の髪の毛から手を離してその手に持っていたセーラー服を奪い取る。一瞬、なにが起こったのか理解できないような顔をした琉架を笑う。
「僕らが大人になりきる前に、このまま逃げちゃおうか」
「逃げるって、逃避行でもするの?」
「そう、だれも僕らを知らないところへ」
それだけ言って、僕はおもむろに彼女の制服に腕を通す。線の細い君のセーラー服は少しきつい。
「それは楽しそうだね」
僕の姿を見て笑うことなく、彼もベッドの上に放置されていた僕の学ランに腕を通した。ずり落ちた肩と長く艶やかな黒髪が、君を少女に見せても僕は知っている。琉架は僕よりも、誰よりも少年であると。久しぶりに、彼の笑顔を見た。
「さあ、行こう」
「ああ」
僕らを繋ぐ手のぬくもりを信じて、行けるところまで逃げてみよう、二人で。
0コメント